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今週の入荷情報! 7月30日版

      posted at 2010-07-30 (Fri) 04:18:43
(タイヤキ君風に)まいにっち毎日、僕等は工場の~
中で汗だっく~イヤになっちゃうよ~♪
こんばんは、30代前半にして加齢臭がすると言われて
ド級に凹んでいる班長Tです

こうも毎日暑いと、徒歩や自転車で通勤・通学される方は
本当に大変ですね・・・汗が止まらなくなっちゃいますよね?

バイクならまだマシ・・・たぶん
昼間は暑くても、夜になれば涼しい風に包まれて
心地よく帰れますし、気分転換にもうってつけですよ

梅雨明け以降、バイクをお探しになられている方の
ご相談の数が急増中なんです
やはり、夏は気分爽快にバイク乗りたいですよね!?

夏真っ盛りな7月最後の入荷情報!
今週も、お問合せの多いモノを中心に探してきました
では早速紹介していきましょう

1・ホンダ ズーマー
夏になると、毎年ズーマーをお探しの方が多くなるのはなぜでしょう?
先々週のズー祭に引き続き、今回の緑も超キレイです

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2・ホンダ ジョルノクレア
先日入荷した赤、即売れちゃったんですけど
色合いがキレイだったのでまた見つけてきちゃいました

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3・ホンダ ジョーカー90
キレイなジョーカーを見つけてきました!
お探しの方、ぜひ一度ご覧になりに来て下さい

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4・ホンダ リード100
往年の名車、リードです!
最近程度の良いモノがなかっただけに
今回のモノはオススメですよ

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5・スズキ アドレスV125G
規制前のアドレスをお探しの方、ぜひどうぞ
下取車なので状態もイイですよ

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6・ホンダ フリーウェイ
コンパクトな250ccってなんで新車がないんですか?と
よくお客様に聞かれますが、班長Tも不思議です

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7・ホンダ フュージョンX-SE
先週入荷したフュージョンも即ご契約頂けました
ホントに最近の相場はお買い得なんです

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8・ヤマハ マジェスティC
やっぱり人気のマジェCです
ビックスデビューにぜひどうぞ!!

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いかがでしたか?
夏真っ盛りとはいえ、もうすぐ8月ですね
お盆を過ぎたらあっという間に秋が来てしまいます
今ならまだ夏休みを満喫してもらう事が出来ますよ!
ぜひ一度、ふらっと覗きに来てみませんか?

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鈴鹿8耐の歴史 第10回

      posted at 2010-07-27 (Tue) 22:30:46
皆さん、感動的な連載モノが終わったと思ってませんか?
まだ終わってませんよ!
今までの連載は今回の2010年の本編へのプロローグだったんですよ!!

ということで、7月25日日曜日に行われた
第33回鈴鹿8時間耐久レースの決勝の模様をお届けします

今年の優勝候補の筆頭は、やはりホンダでした
エースナンバー11をつけるのは、鈴鹿のレースチームTSR
ライダ-は市販車世界選手権ライダーのJ・レイと宇宙人こと秋吉耕佑
ちなみに、写真中央にいる藤井監督の父は元ホンダの国内レース総監督にして
8耐の初代競技委員長、という日本一のレースバカ一家なのです
マシンは唯一のホンダワークス仕様のCBR1000RR

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対する昨年の覇者、ヨシムラは3人体制で連覇を狙います
右から全英選手権参戦中の不死身のサイボーグ・加賀山就臣
ヨシムラと共にWSBKで武者修行中の若きエース・酒井大作
スズキの開発ライダーにして元世界選手権ライダー・青木宣篤
大作をサポートするベテラン2人のトリオで準備は万全です

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そして、今年43歳になる超ベテランにして未だ全日本選手権では
TOP争いを繰り広げる伊藤真一(右)が例年通りのTSRからの参戦ではなく、
普段、全日本を共に戦うコハラレーシングから最後の8耐に参戦しました
ペアを組むのは元世界選手権ライダーの玉田誠
2人はもともとブリジストンタイヤの開発ライダーでもあるので、
実力的にはTSRと同等レベルでしょう

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閑話休題 その1
8耐に強烈な痛車が走りました・・・
チーム名が長すぎるので、実況には「初号機」と呼ばれてました
周回遅れにされる度に超目立ってたので、宣伝的には抜群だったかと

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さて、予選の結果はすっとばしてイキナリ決勝のレポートです
予選TOPの#12ヨシムラが快調にスタートしたのに対し、#11TSRは
エンジンが掛からず出遅れてしまいます
しかし、宇宙人は速かった
たった10周で出遅れを取り戻しTOPに立つと一人旅の始まり・・・
かと思いきや、好事魔多し
転倒ライダーの影響で追い越し禁止の黄色の警告フラッグが
出ている区間で追い越しをしたとして#11に30秒のピットストップが
2回も命ぜられてしまいます
秋吉から交代したばかりのレイも、これにはイライラがつのったのでしょう
レースに復帰してからかなりのハイペースで追い上げを開始した途端、
周回遅れと絡んで転倒、これで一気に優勝争いから脱落しました


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ヨシムラを追いかけるのは、優勝候補の一角と毎年言われつつも
あと一歩届かない全日本選手権の強豪チーム・ハルクプロの#634CBR
ライダーは現在全日本選手権でランク1位の高橋巧(若干20歳!)と
全英選手権参戦中のホンダの若き日本人エース・清成龍一(過去8耐2勝)に
控えとして元世界選手権ライダーの中上貴晶(現在18歳!!)のトリオ

若さと勢いに溢れる高橋がベストラップを連発してヨシムラの青木を
追い詰めますが、周回遅れを利用して差をコントロールする青木の
テクニックに翻弄され、高橋のタイヤは限界を迎えてしまい
あと1歩及ばず、という所でタイヤ交換&燃料給油のタイミングとなりました

この頃には、3位を走る#33伊藤・玉田組は周回遅れとなってしまいました
やはり今年の猛暑は43歳の伊藤には少々厳しいようで、チームの指示の前に
体力的な限界を迎えてピットインしてしまった場面もありました

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1時間に1度のペースで、新品タイヤに交換し24リットルの給油を行う
ピットストップの速さも勝負の分かれ目となります
素早い作業でヨシムラはハルクプロに対して2秒ほどピットストップでも
タイム差を稼ぎだしますが、次の対決となった酒井vs清成の時間で
今度は清成が酒井に対して海外選手権経験者としての豊富なテクニックで
アドバンテージを築きはじめます
疲れと焦りからか、今度は酒井が転倒しヨシムラも後退してしまいます
転倒の影響でマフラーとリアブレーキにダメージを負ったGSX-Rは
メカニックの懸命な修復によって、何とか戦線復帰しましたが
その時には転倒修理後に再スタートした#11TSRにも抜かれてしまいました

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今年、最大の敗者はTSRでしょう
転倒修理によって7周遅れの42位にされたTSRは、ここから猛チャージ
他チームが1周2分10~12秒台で周回している中、2人揃って2分8秒台
コース全域に渡って追い抜きショーを繰り広げます
もし秋吉が黄旗を無視しなければ・・・もしレイが転ばなければ・・・
勝負にたらればはありえませんが、圧倒的なスピードでした

圧巻だったのは、先頭を走る#634高橋を追い抜く瞬間に
秋吉が振り返りつつ自分の尻をペンペンして煽っていった時でしょう
「ついて来れるもんなら
来やがれ!!」

ホンダのエースは俺様だ!というアピールに大爆笑でした

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その後、高橋と清成は何度も#11と#33に抜かされつつも
最後までペースを変える事なく淡々と走りきり勝利しました
清成はこれで現役ライダー最多となる8耐3勝目!
高橋は過去 芳賀紀行が樹立した21歳という最年少記録を塗り替えました

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1989年から全日本選手権の2ストロークの小排気量クラスに参戦し続け、
2004年からは1000ccクラスにてTSRとホンダ勢TOPを賭けて
昼はサーキット、夜は飲み屋で藤井監督と激しいバトルを繰り広げてきた
本田監督にとっては、チャレンジ7回目にして嬉しい初勝利でした
2位は、最後の8耐参戦となった伊藤がラストランを飾った#33
3位は、転倒して他より3回も多くピットに入った!ペナルティを1分喰らった!
それでも3周遅れで表彰台に登った#11TSRの宇宙人コンビでした
残念ながら連覇を狙ったヨシムラは6位、来年はリベンジですね!

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班長Tの”超”個人的つぶやき
班長Tはサーキットは男のプライドがぶつかる神聖な場所だと思ってるので、
こういうイベントはキライ・・・なんだけど、コレで8耐にお客さんが
ちょっとでも来てくれればOKかな、と思ってました
彼女達のレポートを見るまでは!
バイクレースに今まで興味なくて、仕事で来てるのは判ってるんだから
ありきたりな事を言わずに、もっと新鮮な感想を聞かせて欲しかったよ
あと、いちいちSKE48って名乗ってから感想言うな!

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来年は皆で「風よ、鈴鹿へ」を聞きに行きましょう!
ではまた、来年に続く!!

今週の入荷情報! 7月23日版

      posted at 2010-07-23 (Fri) 03:33:33
暑い暑い暑い暑い!!
北国ロシア領ニッポン生まれの班長Tには
耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ毎日です

心なしか、世田谷通りを行き交う方たちも
顔がテカりまくっている暑さの今日この頃、
バイクに乗りたいなんて奇特な方、手をあげて!!


・・・・・・オッケーイ!!



武道館を満員に出来そうなくらいな数の
モトヴァントファンの方たちが手をあげてくださってますね!
ありがとうございます!

実際、夏休みに突入した学生さん達が大挙して
モトヴァントにいらっしゃってます
やっぱ夏はバイクにビールにかき氷ですね!
高校生はビールはダメ!飲酒運転もいけません!!

そんな訳で、今週の入荷情報です
HOTな夏に負けないCOOLなバイクが多数見つかりました
今週も夏を楽しむ相棒探しにHere we go!!

1・ホンダ ジョルノクレア
HOTな夏でも水冷エンジンだから安心して
長時間でも走れちゃうスグレモノなんです!

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2・ホンダ ライブディオ
軽くて速いから、気軽にちょっとそこまで
プチツーリングなんて気分にさせてくれますよ

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3・ヤマハ BW’s
・・・えー、コレはまた変態さん専用ですね
カスタムして自分色に染め上げちゃいましょうか?

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4・ホンダ FTR223
やっぱ夏だし、ラフに楽しみたい!って方へ向けて
A先輩ならFTRをオススメします

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5・カワサキ 250TR
いやいや、こっちも気軽に楽しめますよ!と
班長TはTRをオススメします

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6・ホンダ フュージョンX-SE
最近、フュージョン人気が再燃している模様
カスタム台風に厳重に警戒して下さい

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7・カワサキ ゼファー400
やっぱり夏の夜にはネイキッドがイチオシでしょう!
でも、安全運転に気をつけましょうね

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ということで、いかがでしたか?
相場がホントに高騰中なんです
欲しいバイクは早めにご相談下さい!!

鈴鹿8耐の歴史 第9回

      posted at 2010-07-21 (Wed) 21:12:30
7月最終週に三重県鈴鹿サーキットで行われる
鈴鹿8時間耐久レースに向けて、レース初心者の方に向けて
”班長Tの独断と偏見による”鈴鹿8耐の歴史を振り返る日記

最終回として第8回は、鈴鹿8耐の歴史に残っている
様々な人達と8耐の関わりをお伝えしたいと思います

まずは、ホンダの8耐を盛り上げる取り組みを
ちょっとだけご紹介
ホンダは過去には「親子で楽しめる8耐を!」という事で
TVの中のヒーロー達を8耐に呼んでいました

例えば、ウルトラマンレーシングチーム
このチーム、メンバーは超強力で世界選手権125ccクラスの
現役チャンピオンやホンダのレースマシン開発ライダーなどが
実際に勝つために参戦し、マシンもホンダワークスと全く同一の
超えげつない仕様だったりします

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2000年代に入ると、バンダイとのコラボレーションで全日本の
TOPライダーを起用した仮面ライダーチームが参戦を続けていました
写真は2003年の仮面ライダーフェイズチーム
左の選手は当時、全日本で実力・人気ともに急上昇中だった
現・世界選手権モト2(600ccクラス)に参戦中の高橋裕紀です

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レース開始前に歴代ライダーがサーキットを1周したり、
毎年、その時期に放映中の番組に出てくるマシンが展示されたり、と
子供連れのファンの方たちには大変好評だっただけに、
ぜひとも復活して欲しいチームです


他にテレビ絡みのチームとして8耐の汚点とも言えるのが、
捏造大好きのT●Sで2001年頃放送されていたヤラセ番組の
企画のひとつとして「ガチンコ!バリバリ伝説」などという
レースファンの怒りを買いまくった企画チームの参戦でした

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詳細は、よーくヤマハの広報ページを読んでいただければ判ります
あくまで、「ドキュメンタリータッチ」に描かれた参戦なんですって・・・
おいTBS!レース舐めるな!
真剣に費用をかき集めて参戦しているプライベーターさん達が羨む程の
ワークス並みの体制で参戦しているくせに、元暴走族ライダーが
8耐に向けて成長していくサクセスストーリー仕立て・・・ムリありすぎ

ヤマハさん、企画のお手伝いして後悔してません?


さて、今度はレースとは切っても切れないお金のお話
参戦するチームを支える様々なスポンサーのカラーに彩られた
8耐は世界一華やかなレースと言われています

写真は1989年のフランスホンダ耐久チーム
スポンサーはBEAMSでした
第3回でも取り上げた1990年前後のバブル絶頂期には
若者にアピールしたい企業が挙って8耐に参戦していました

写真


他にも、阪神タイガースがスポンサーだったチームもいました

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8耐の様な大規模なレースになると、参戦するスポンサーの
イメージガールやレースクイーンが大挙して登場します
最盛期の90年には約100人ものハイレグギャルが参戦しました
代表的なレースクイーン出身の芸能人といえば岡本夏生と
ZARDのボーカル・坂井泉水がカップヌードルレーシング出身です

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さて、話題を変えてみましょう
鈴鹿8耐には単純に優勝を狙うために参戦するだけではなく、
自分達の限界にチャレンジしようとするチームも出場していました

例えば、自分達のこだわりのマシンで参戦するチームを見てみましょう
その1:カワサキZ1にこだわるアサヒサレーシング
初年度は骨格まで含めてZでしたが、さすがに2年目からは
車体だけは現代の技術であるアルミフレームに換えてきました

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その2:ノジマエンジニアリングのZRX1200
廻りのバイクとスタイルが全く違いますが、結構速いんです
市販車ベースで、ガードナーのタイムより速いんですから!

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その3:ホンダCB1300SFの開発チームのメンバー自ら
市販車を改造して参戦したプロジェクトBig-1チーム

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そして、8耐と切っても切れないのが島田紳助氏の存在でしょう
チームシンスケの監督として1985年からの10年間、
友人である一介のバイク屋店主・千石清一氏を走らせるために
紳助氏は友人達と共にスポンサー集めからマシンの借り出しまで
必死に駆けずり回っていました
最初は「芸能人がレース遊び」とレース関係者からはバカにされていましたが、
真剣にレースに取り組もうという姿勢は序々に賛同者を集めていきました

そして、1年目はわずか400万円の資金しか集まりませんでしたが、
ヨシムラの創始者POP吉村の好意で、なんと1年前にヨシムラが
8耐で使用したマシンを無償で貸し出して貰えたのです

POPは紳助氏にこう語ったそうです
「最近はマシンの性能は良くなったが、それに乗る人間がついていけてない
千石さんをのせようっていうのでしょう?それだけで十分ですよ」
打倒ホンダの火の玉オヤジが、紳助氏の漢気に共感した瞬間でしょう
以来、紳助氏の目標は「ヨシムラに勝ってこその恩返し」となりました
下の写真、一番左に立っているのが紳助監督です

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自分を信じてついてきてくれた友人達
8耐の素晴らしさを教えてくれた千石氏
鈴鹿サーキットまで応援に来てくれるファン
そしてスポンサーや亡くなったPOPヨシムラへの感謝を込めて
最後の3年間はHRCの準ワークスマシンを借り出したチームシンスケ
しかし、最後まで表彰台に立つ夢は叶いませんでした
それでも、紳助氏は8耐参戦を振り返ってこう述べています

レースが好きな訳やない
アホな仲間と楽しめたのが8耐や
皆でひとつの事に夢中になれる
それが好きなんや


夢の続きを待つかのように、紳助氏の自宅には
今もラストランを走ったRVFが眠っているそうです


参戦するチームの数だけ夢があり、ドラマがあります
今年の鈴鹿8耐はいよいよ明日、7月22日に開幕します
さて、今年はどんなドラマが展開されるのでしょうか?

最後に、8耐の永遠のテーマソングとも言える
チームシンスケの応援歌「風よ、鈴鹿へ」の歌詞で締めくくります

心を込めて 作り上げたモンスター
ワゴンの中で 静かに眠れ
お前の寝息が 聴こえてくるようさ

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鈴鹿までわずか あと15マイル
一度だけでいい 8時間うなり続けてくれ
ライダーが苦しそうな顔をしたら
お前が慰めてくれ

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風よ鈴鹿へ 風よ鈴鹿へ
風よ優しく吹いてくれ
俺達の夢をのせて

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幾度もチャレンジ続け 大きな力に
ねじ伏せられた 跳ね飛ばされた
汗が流れ落ちることなく いつも乾いている
夢から絶対目を離さないから
今年も涙流そう

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風よ鈴鹿へ 風よ鈴鹿へ
風よ優しく吹いてくれ
俺達の夢をのせて

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トリビア~♪
お笑いコンビ「130R」の名前の由来は
鈴鹿にある世界で最も危険なカーブの名前から来ています
名付け親は、もちろん紳助氏です

鈴鹿8耐の歴史 第8回

      posted at 2010-07-20 (Tue) 00:12:37
7月最終週に三重県鈴鹿サーキットで行われる
鈴鹿8時間耐久レースに向けて、レース初心者の方に向けて
”班長Tの独断と偏見による”鈴鹿8耐の歴史を振り返る日記

第7章は、名門の復活劇を取り上げます
題して、
”苦労人ライダー達の8耐”

第1章でも取り上げましたが、鈴鹿8耐が初めて開催された1978年は
チューニングメーカーであるヨシムラが、ホンダのメーカーチームを
破って優勝するという波乱の展開でした
その後、1980年に2度目の優勝を果たした後に
ヨシムラは長きに渡って優勝からは遠ざかっていました

バイクの骨格であるフレームや排気量などの重要パーツ以外は
何でも改造OKだったTT-F1クラスと、その後を継いだ
スーパーバイククラス時代は、スズキのワークスチームが
参戦していた事もあり、ヨシムラは8耐に参戦を続けてはいましたが
今ひとつ目立った成績を残す事は出来ていませんでした

ヨシムラが再び脚光をあびたのは2003年の鈴鹿8耐
全日本選手権からメーカー直系のワークスチームの参戦がなくなり、
各プライベーターvs8耐のみ参加のホンダワークスが激突します

ヨシムラは打倒ホンダの最右翼でしたが、決勝2周目の1コーナー
トラブルを起こしたバイクが撒いたオイルに乗り転倒
そしてバイクは炎上してしまいます

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ピットへ戻るレッカー車に強制的に乗せられて、ヨシムラはリタイア
1年を掛けて準備してきた8耐がたったの3分で終わってしまいました
その時のエース、渡辺篤が炎上したバイクの上で泣き崩れています
当時、全英選手権に参戦していた加賀山就臣に至っては
1周も決勝を走る事なく日本を去る事になりました

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この年からヨシムラと加賀山の戦いは始まりました

当時の加賀山は、スズキの実戦を走りながら開発を担当する若手として
2002年まで全日本選手権に参戦してましたが、
全日本からスズキワークスが撤退した後、全英選手権へと参戦していました
市販車世界選手権がコスト削減とイコールコンディション化のために
改造範囲の狭い厳しいルールに変更された為、最大限のマシン開発が出来ないので、
以前のスーパーバイククラス同様に改造範囲の広いルールを定めていた
全英選手権に参戦しながら2足のわらじで
GSX-R1000のレース用マシンの開発を担当していました

翌2004年はヨシムラ創業50周年の節目の年
なんとしても結果を残したい渡辺・加賀山ペアは
着実なレース運びでヨシムラに18年ぶりの2位という
素晴らしい結果をもたらしました

しかし、まだまだ勝てない期間が続きます
毎年、打倒ホンダの最右翼と目されていて予選までは好調でも
決勝になるとトラブルやリタイアが続いてしまいます


最大の転機となるのは2006年の事でした
それまでスズキのレースを走らない開発専門のライダーとして
モトGPのマシン開発を行っていた秋吉耕佑
ヨシムラから久々に全日本へ参戦しました

加賀山も秋吉もスズキワークスチームへの加入も
全日本選手権へのデビューもほぼ同時期の、言わば
苦楽を共にした仲であり、気心の知れた相手でした
しかし、加賀山が250ccや750ccクラスで実戦での
開発を担当していたのに対して、秋吉は実戦を走る事なく
ひたすら静岡にあるスズキのテストコースでの走りこみを
行う日々を送っていました
その為、マシンに対する理解度は誰よりも高かったのです

この2人がペアを組んだ2007年の鈴鹿8耐
この年は鈴鹿8耐開催30回目の記念の年でした
開催前の事前テストの段階から2人のペアは最高の仕上がりを見せ、
今年は何か波乱があるかも知れない、との予感が
ファンやレース関係者の間では広がっていました

8耐の予選が始まると、予感は確信へと変わります
圧倒的に速い秋吉のタイムに誰も追いつけないのです
土曜日の午後に行われる予選上位10台のライダーによる
最終的な予選順位を決めるトップ10トライアルでは
安全マージンをとって3位でしたが、決勝を見据えた
余裕のある態度は、他チームとは明らかに違いました

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決勝が始まり、1コーナーに先頭で飛び込んだのは
スタートライダーを務める加賀山でした

加賀山は早くも周回遅れが出てきた10周目頃から
ホンダのエースチーム#11と激しい接近戦を繰り広げますが、
周回遅れのライダーが後から来た加賀山に道を譲った後、
自分の走行ラインに戻ろうとしてホンダチームの前に
出てしまい、加賀山とホンダの間に差が少しずつ生まれてきました

海外の参加台数の多いレースに参戦してきた加賀山の経験が
生み出した貴重なタイム差を引き継いだ秋吉は、更に#11との
タイム差を広げてみせます
そうしている内に、#11は転倒リタイアと自滅してしまいます

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敵のいなくなったヨシムラは2位以下の全マシンを周回遅れにして
27年ぶりの鈴鹿8耐3勝目をあげました
そして、この勝利はヨシムラ創業者POP吉村の孫である
加藤陽平新監督の8耐デビューウィンでもありました

表彰台の頂点で、加藤監督は叫びました
「おじいちゃんっ、勝ったよ!」

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翌2008年の鈴鹿8耐
2度目のペアとなった加賀山と秋吉はもちろん連覇を狙っていました
しかしホンダが2年連続で優勝を逃して黙っている訳がありません
モデルチェンジした新型CBR1000RRと世界中のホンダチームから
選りすぐられたライダーが参戦し、奪回のチャンスを狙っていました

この年のGSXーRはCBRに比べて1時間あたり10秒程遅く、
ジリジリとヨシムラが離されていく展開になっていました

レースが動いたのは雨が降り始めた時でした
安全策をとって慎重に走るホンダのエース#11に対して、
加賀山は雨の中を晴天用の溝のないスリックタイヤで爆走!
1周で10秒ずつ差を縮めて逆転でトップに立ちます
追い上げた後も、後で晴れた時の為にとギャップを広げようと
加賀山のGSX-Rは誰が見ても無謀すぎるアタックを
行い続けます

しかし、加賀山のアタックは失敗してしまいます
得意とする1コーナーの進入でスリップし、転倒してしまいます
泥まみれのバイクで必死にホンダを追う加賀山
しかし、転倒の影響で秋吉の走行中に左ハンドルが取れてしまい
秋吉が転倒してしまい万事休す
結局、2008年はヨシムラのサブチームが2位に入りましたが
ホンダには完敗してしまいました


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ここで、2人のペアに最大の転機が訪れます
HRCに秋吉が開発兼任のレースライダーとして移籍しました
もちろん鈴鹿8耐や全日本、機会があれば世界選手権モトGPにも
最高の環境で参戦できるまたとないチャンスです

班長Tには秋吉の気持ちが今だに理解出来ません
しかし、野球選手の誰もが一度は巨人やメジャーに
憧れるのと同じ様に、ライダーにはHRCに加入して
チャンピオンを獲りたいと思うのでしょう
ずっと日陰の開発ライダーだった秋吉なら尚更の事
自分の実力を証明したかったのだと思います

しかし、リーマンショックに端を発した世界的不況によって
ホンダは鈴鹿8耐へ費用の掛かるワークスチームでの参戦を中止します
秋吉もワークスのエースとして参戦する機会を失ってしまったのです


2009年の鈴鹿8耐
ゼッケン1をつけた秋吉は、ホンダワークスが開発したCBRに乗り
鈴鹿のレースチームTSRが運営するTSRホンダのエースとして
優勝の最有力候補と見なされていました
一方、加賀山は参戦していた市販車世界選手権と日程が重なってしまい
ヨシムラから8耐に参戦することは叶いませんでした

予選から秋吉の走りは異次元の速さで、TSR陣営がつけたアダ名は「宇宙人」
今まで世界選手権にも参戦した経験のあるTSRの藤井監督から見ても
秋吉の走りは世界選手権でも通用するレベルだろうと言わしめました

難なく予選をトップで通過し、TSRホンダの優勝は磐石かと思われました
決勝が始まり、1周目を終えた時点で2位以下に大差を築いた秋吉とCBR
しかし、2周目の1~2コーナーを抜けてS字カーブの1個目に
秋吉が勢い良く進入・・・そのまま転倒してしまいました

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何とかピットまで傷ついたCBRを秋吉が運びこみ、
懸命の修復が終わったのは19分後、順位は最後尾まで落ちていました
そこから8時間かけて47台を抜いて9位でゴールしました
しかし、これは秋吉が望んでいた結果ではないでしょう

一方、先頭を走るヨシムラは安定したペースを刻み続け
ライバルチームが勝手に自滅していく中、首位をひた走ります
途中、雨が降り出した時も慌てずペースを守り続けて
2年ぶり4度目の優勝を飾りました

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加賀山と秋吉、2人の闘いは2010年へと持ち越されました
加賀山はヨシムラのエースとして2連覇、ヨシムラ5勝目を賭けて
秋吉はホンダのエースとして2年ぶりの優勝とTSR2勝目を賭けて

2人の絶対に負けられない戦いがもうすぐ始まります

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いよいよ次回は最終章です
今週末に迫った鈴鹿8耐、ぜひお楽しみに!!

鈴鹿8耐の歴史 第7回

      posted at 2010-07-16 (Fri) 19:30:00
7月最終週に三重県鈴鹿サーキットで行われる
鈴鹿8時間耐久レースに向けて、レース初心者の方に向けて
”班長Tの独断と偏見による”鈴鹿8耐の歴史を振り返る日記

第6章は、ホンダの独走を止めるべく奮闘した他チームの中で、
特に歴史・記憶に残る闘いを取り上げようと思います
題して、
世界に挑んだ男達の8耐


まず、前回のHRC編で、唯一ホンダに土がつけた時の話をしましょう
1996年、鈴鹿8耐で世界への扉を自らの手でこじ開けた若きサムライ
彼の名は芳賀紀行・愛称は”ニトロノリ”
班長Tの中では”豚”・・・あの鼻がね・・・走りは良いけど・・・
勝つか負けるかの激しいレーススタイルが有名で、欧米のファンからは
その激しさゆえにニトロと呼ばれています

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芳賀は、全日本にて95年まで在籍したヤマハのサテライト(準ワークス)
チームから96年にワークスチームに加入した事で更なる飛躍を狙っていました
ヤマハに1990年以来の優勝を勝ち取る事で市販車世界選手権への
ステップアップを熱望していたのです

その年のペアはコーリン・エドワース
2000年に市販車世界王選手権にて王座を掛けて激しく闘う2人は
若き頃にヤマハで1度チームメイトとなっていたのです

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車体と車体が激しく接触しながらもバトルする2人
エドワーズは芳賀を評して「クレイジー!でも最高な相手!!」と
けっして憎しみあうような関係ではありませんでした
それは、96年に2人で勝ち取った8耐があったからこそでしょう


1996年の鈴鹿8耐の話に戻ります
前評判はホンダのエースであるアーロン・スライトの4連覇がほぼ手中にある、と
言われる程にスライトと岡田忠之のコンビは強力であり、
それ以外のホンダチームも磐石の態勢でした

しかし、決勝が始まってみると芳賀の勢いの良さが目立ちます
6番手からスタートでいきなりスパートをかけ、TOPを奪うと
アグレッシブなスタイルで戦闘力の劣るヤマハ車を操り、
縦横無尽に鈴鹿を攻める芳賀と、それに負けじと好タイムを出す
エドワーズのコンビはホンダ陣営の焦りを生み出しました

まず、スライトが一時間目にいきなり転倒してリタイア
そして他のホンダチームも芳賀の攻めの走りについていけずに
転倒し、優勝争いから脱落していってしまいます

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ライトを点けての夜間走行でもペースは一向に落ちません
誰もが鈴鹿の夜には魔物が潜んでいる、と恐れる時間帯に
芳賀はその日一番速いタイムを刻む位の勢いでした

最終的に芳賀は前年の周回数を大幅に更新して初優勝
この時、芳賀21歳・エドワーズ22歳
2人の若きライダーは、過去の勝利者達と同じ様に
世界選手権へと羽ばたいていくのです

しかし、その後の芳賀には不運が付き纏いました
タイヤメーカー変更によるライディングスタイルの不本意な変更
ヤマハの体制縮小に伴う選手権撤退、不本意な別カテゴリーへの移籍
風邪薬を服用したばかりに、あらぬドーピング疑惑など
年間王者に一番近い、と毎年言われながらも無冠の帝王のままです

イタリアのドゥカティワークスのエースである前年の王者から
直接「王座の後継者」として引退後のエースに指名されつつも
王者を最終戦で逃してしまった09年の市販車世界選手権で、
皮肉にもタイトルを奪ったのはヤマハが連れて来た新星ライダーでした




もう1人、熱い漢の話をしましょう

時は流れて2003年
1人のベテランライダーが鈴鹿8耐制覇という長年の夢を
叶えるべく自らが開発したマシンと共にやってきました
男の名は北川圭一
そして彼の愛機は2001年に自らの手で全日本王者となった
スズキ・GSX-R1000でした

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90年代、カワサキ~スズキとワークスチームを渡り歩いてきた
北川は毎年不運なトラブルやケガに泣いてきました
2001年、スズキワークスを放出され引退を覚悟していた時に
北川に提示された条件は「GSX-R1000の開発ライダー」の座でした

世界的に不人気な750ccでの市販車選手権への参戦はメーカーに
多額の負担を強いるものだったので、日欧のメーカーは
市販車として人気の1000ccのバイクにて、ルール改正し
よりローコストなレースに市販車選手権を変えようとしていました
そこで、スズキは若手優先のライダー育成計画から外れた
北川に対して、全日本選手権に参戦しつつバイクを開発する
重責を担って貰おうとしたのです

しかし、レースに集中できるワークス体制とは違い、開発担当と
いう事はマシントラブルに襲われる可能性もあります
そして、物量・資金に勝るワークスを追われ、全日本では名だたる歴史を
残していない単なるバイクショップのプライベーターチームから
参戦するのは、北川にとって屈辱以外の何物でもなかったでしょう

しかし、転んでもスペアマシンが用意されているワークスではなく
1台しかバイクが無いプライベーターチームからの参戦によって、
北川は安定した走りと冷静な判断力を備えるライダーへと
ベテランながら更に成長していったのです
そうして、全日本のTOPカテゴリーではなかったのですが、
より市販車に近いクラスとして注目を集めていたSーNKクラスにて
北川は全日本チャンプとなり、実力が衰えていないのを証明しました

そして2003年、ワークスチームが全日本選手権から撤退し、
プライベーターチームのみで争われるようになりました
そして、全日本選手権のTOPカテゴリーは750cc4気筒の
スーパーバイククラスから4気筒1000ccクラスのバイクが
参戦するS-NK改めJSB1000クラスへと変更されました

HRCが日本で行われるレースに参戦するのは8耐のみとなり、
ヨシムラ始め他チームは打倒HRCを目標にしていました
もちろん、北川は自ら開発してきた1000ccクラスでは
他チームよりバイクに対して一日の長があります
今年こそは悲願の8耐制覇を!と意気揚々としていました

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しかし8耐が始まった直後から北川は風邪に苦しみます
体調不良で思ったような走りが出来ません
ペアライダーである市販車世界選手権600ccクラスライダーの
藤原克明の懸命の走りで何とか予選上位を確保し、
ホテルで点滴を受けつつ、翌日の決勝へと望みをつなぎました


2003年8月3日
その日は朝から快晴でした
班長Tと新品Pは1コーナースタンドにてスタートを待っていました
やがて数分の静寂の後、11時30分にレースが始まりました
2周目の1コーナー、我々の目の前で3台のバイクが転倒し
1台は炎上してしまいます
やがて隊列を整えコースの安全が確保されるまで先導する役割の
セーフティーカーがピットに戻った後、レースが再開されました

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先頭を走っていたホンダワークスの後にピッタリとつける北川
マシンの性能差は多少あれど、北川の気迫が乗り移ったかの様に
GSX-Rはパワーに勝るVTR1000SPWを追い詰めていきます
そして、ホンダのエース#7は転倒し、その後リタイアしてしまいます

余談
めったにライダー個人を応援しない新品Pですが、
K1さんは同じ”みやこびと”という事もあり応援していました
その年の春、モーターサイクルショーで見かけたK1さんに
”いっとけいっとけ~!”と声をかけたらK1さんは気軽に
”いっとく~!!”と返してくれました
その後、イタリアやスペインの本場のレースファン以上に
うるさいと2chでも叩かれた北川応援団のスローガンである
”いっとけK1”が生まれた経緯だと新品Pは思っている、たぶん

北川応援団はK1さんのピット真正面に陣取り、
K1チームのピット作業の際にはホーンと爆竹で応援する、という
荒々しい本場スタイルを日本のサーキットに持ち込みました
自称スペイン人の新品Pも本場仕込みの発炎筒を持ち込もうとして
真剣に班長Tにたしなめられました

この時、爆竹の束に点火する際の新品Pの笑顔が
あまりにも恐ろしすぎて忘れられません・・・

以上、余談おわり


ホンダのエースの転倒で、敵がいなくなった後は余裕の走りでした
しかし、弱小チームに勝たせてなるものかとばかりにペナルティが与えられます
これで更に北川の走りに気迫が篭り、夕暮れの難しい時間帯に
最速ラップタイムを連発して、20秒に縮まったタイム差を一気に
50秒まで戻して北川の最後の走行が終わりました

最後のピット作業は通常の倍の係員の監視下で行われていた為、
時間を掛けて丁寧に、慎重に行われました
そして、藤原の乗車で最後の1時間へとGSX-Rが出発・・・

エンジンが掛かりません

北川のマシンがサーキットビジョンに映し出されると、悲鳴があがりました
実況が叫びます
「北川!マシンを降りるときに魂まで降ろしてしまったのか!?」
Byピエール北川

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その時、班長Tと新品Pは北川の勝利を祝うべく
北川のチームの真正面のスタンド席に陣取っていました
そして、目の前に座っていたのは2位を走っていたチームの
応援ツアーで来ていたお客さん達でした
彼らからすれば喜ばしい事だったのかもしれませんが、
人の不幸を喜ぶ姿は、本当に殺意が芽生えましたね・・・

結局、GSX-Rのトラブルの原因はエンジンの点火を制御する
スズキ純正パーツの端子が一本折れていた、というとんでもないモノでした
それに気付いたのはピットに戻ってきてから既に50分が経過した頃で、
残り数分の修理ののち、最後にコースへと飛び出した藤原は
40位のチェッカーフラッグをウィリーしながら受けました

あの日、鈴鹿に置き忘れてきたモノを取り返せないまま
北川はその後、愛機と共に世界耐久選手権の王者に2度輝きます
最後の鈴鹿8耐となった2006年、北川は残念ながら転倒してしまい
38位でチェッカーを受けました
その年、HRCは同じホンダ系ながらプライベーターに属する
TSRに初めて真正面から倒されたのです


そろそろ8耐の物語も終わりが近づいてきました
しかし、熱い男達の物語の系譜はまだまだ続きます

つづく!!

今週の入荷情報! 7月16日版

      posted at 2010-07-16 (Fri) 04:36:37
もうすぐ梅雨が明けそうなのを実感できそうな
天気の良い日が今週は続きますね!

夏休みにバイクに乗りたい!という
若いお客さんが多くてうれしいです

しかし!初めてのバイクを買う時は
しっかりと良いバイクを見極めてからじゃないと
とんだ夏の思い出になっちゃいますよ!!

不安な事、心配な事は何でも相談して下さい
保険の事なら班長Tに!
整備の事ならA先輩に!!
お金の事なら新品Pに!!!
ボク達が必ず力になりますよ~♪

さて、今週の入荷情報です
今週のテーマは、
ズー祭り!!
最近、ズーマーを探しているお客様が多いので
程度の良いズーマーを取り揃えてみました!
ズーマーは整備をキチンとしてくれればホントに長く乗れますよ

それでは早速、順番に紹介していきましょう

1・白
規制前最終モデルの白!走行も超がつく程少ないです!!
マフラー換えたい方は規制前を買った方が安上がりですよ

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2・黒
こちらも1に負けず劣らずキレイで走行少なめです
人気の黒なので、お早めに~!!

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3・赤
暑い夏にはピッタリのヤツを送るぜ!By氷室京介

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4・白
こちらもキレイでお買い得ですよ!
高め基調のズーマー夏相場ではお勧めの1台です

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それ以外にも程度の良いバイクを見つけてきました
5・ホンダ Today
またまた入荷、人気のトゥディ
タフネスな足バイクとして初めての方にもピッタリです

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6・ホンダ DIO ST
えー、ホンダ大好き班長Tでも存在を知りませんでした
詳しく説明すると長くなるので、聞きに来て下さい

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7・タイホンダ カブ100
キレイなタイカブを見つけてきました!!
頑丈で手軽なバイクとしてオススメです

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8・スズキ ヴェクスター150
まずは青の最終型!新車同様です!!

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9・スズキ ヴェクスター150
こちらはシックな黒です
スーツ姿でも似合う色ですね

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10・スズキ スカイウェイブ400S
最近、ベテランライダーの方に人気の400スクーター
今回のスカブーは程度バツグンなのでオススメです

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さて、いかがでしたか?
今月に入り、少々高くても程度の良いモノを買いたい、と
モトヴァントに相談しにお見えになるお客様が増えてます

少しでも良いものをお安く、そして出来る限り長く乗って貰える様に
ボク達も出来る限り努力させて頂きます!!

鈴鹿8耐の歴史 第6回の後編

      posted at 2010-07-13 (Tue) 22:00:00
7月最終週に三重県鈴鹿サーキットで行われる
鈴鹿8時間耐久レースに向けて、レース初心者の方に向けて
”班長Tの独断と偏見による”鈴鹿8耐の歴史を振り返る日記

第5章は
HRCの功罪と題して
ホンダがいかにレースを捉えているかを含めてお伝えしています
前半では90年代のホンダ常勝時代を取り上げました
後半は、常勝HRCと観客数に陰りが見え始めた時代を中心に
鈴鹿8耐の移り変わりを見て行きましょう

8耐では最強と呼ばれたRVF750/RC45でしたが、
市販車は94年と95年に限定で売り出された数百台のみで
ホンダ自体の二輪車の販売には殆ど貢献していません
一方、市販車世界選手権ではイタリアのドゥカティが
2気筒エンジン車は重量制限が4気筒エンジン車よりも
軽くて良く、排気量も4気筒は750ccまでなのに対し
2気筒は1000ccまでOKというルールを生かし
ドゥカティ916の投入以降は圧勝を続けていました
そして、そのイメージを生かし販売も好調でした

鈴鹿8耐で勝てても世界選手権では勝てないRC45
そして、HRCはドゥカティを倒すという目的の為に
またレーサーに市販車としての耐久性と最低限の保安部品を
つけただけのバイクを市販します

VTR1000SP1/改良版SP2(北米版RVT1000R)と
そのレーサー版SPWの誕生です
SPはスポーツプロダクションの略で、レース車ベースを意味し
その後のWはワークス専用機と言う意味です

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写真は2003年、タバコのセブンスターがスポンサーの頃です
鈴鹿8耐の季節になると、鈴鹿周辺の自販機は黒一色でした

ちなみに、新品Pは箱根でダンプと対決しK点超えして以来、
SP1が大嫌いで班長TがSP2欲しいと言っても
「オマエは絶対星(死兆星)になる」と言って許してくれません・・・

余談はこれくらいにしておいて、
鈴鹿8耐とHRCの歴史に戻りましょう


2000年:優勝
SPWのデビューウィンを狙うHRCは99年に引き続き、
ワークスチームから3台のSPWを投入します
前年の雪辱を狙う伊藤と連覇を狙う岡田のコンビは
岡田が予選でバイクが炎上する程の転倒で、大ケガしてしまい
決勝は予備ライダーが岡田の代わりに走りました

この年は世界選手権250ccでライバル同士だった宇川加藤ペアが
ダンロップタイヤの利点を生かして勝利しました

2001年:優勝
前年、世界選手権500ccクラスでホンダに加入した事で
憧れだった鈴鹿8耐に参戦しつつも、慣れないSPWで転倒リタイアした
ヴァレンティーノ・ロッシが雪辱を晴らすべく参戦しました
ペアを組んだのはSPWで市販車世界選手権に参戦し、
2000年に劇的な世界選手権制覇を果たしたコーリン・エドワーズ
2人のコンビは抜群で、結局ホンダが圧勝しました
それ以来、過酷な8耐をイヤがるロッシは1度も参戦していません

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2002年:優勝
この年、HRCは新たな話題を作ります
4気筒750ccで高回転まで回してパワーを出す他チームより
燃費の良い2気筒1000ccの利点を生かして
通常なら1時間ごとに計7回ピットで燃料給油を行っていたのを
1回減らして6回にしてしまう作戦をとりました
1回のピットでの停止時間は約30秒程かかるので、
鈴鹿サーキットでの1周に掛かる時間が2分10秒程ですから
4分の1程の距離はピット戦術で他メーカーに先行できる計算です

結局、必勝体制で臨んだHRCに唯一喰らい付いたスズキが
消えた後はホンダがまた表彰台を独占しました

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2003年:優勝
ワークス参戦するチームがとうとうホンダだけとなってしまったこの年、
02年に全米チャンプとなった後、世界選手権モトGPに参戦開始し
8耐で久々に去年の愛機だったSPWを操るニッキー・ヘイデンが
どのような走りを魅せるか注目が集まっていました

しかし、レース開始直後にトラブルからオイルを撒き散らしたバイクがあり、
コースを濡らすオイルに気付かなかったヨシムラとヘイデン・岡田の3台が
2周目の1コーナーでスリップ・転倒し、ヨシムラは炎上してしまいます

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結局、3台ともにリタイアしてしまいました
最後は桜井ホンダのサブチームのSPWが勝つことで
何とかホンダの連勝記録は続きましたが、ワークスは全滅してしまい
HRCにとって喜び半減な結果だった事でしょう

SPWは鈴鹿8耐で4戦4勝し、市販車世界選手権でも
4年間で2度年間王者を獲得した事で、数字の上では
ドゥカティを圧倒しました
しかし、レースに勝つ為だけに開発されたSP1/2は
一般道では乗りづらい、と販売では不振を極め、
2008年に廃盤になるまではカラーチェンジすら行われませんでした
自分の乗るバイクがレースで勝つ、というオーナーの喜びがない
レースの為だけのバイクを作ってまでレースに勝ちたいHRC
そこには鬼平の「乗りやすいバイクを作る」という心が間違った方向へと
向かってしまったのではないかと思います

そして、レースの規則が改正されたのに合せて
ホンダのワークスマシンも4気筒1000ccエンジンを積んだ
CBR1000RRへと変更されました

2004年:優勝
前年、8耐に勝つ為にホンダへと移籍してきた井筒仁康でしたが
転倒リタイアしてしまい、悲願達成に燃えていました
この年は久々に、ホンダワークスvsヨシムラの闘いが繰り広げられ、
井筒が念願だった8耐初優勝を遂げましたが、世界への扉は開かれず
残念な事に余力を残した状態で一旦引退の道を選んでしまいました

井筒1


2005年:優勝
年に1度、自分達の実力を見せ付ける機会と鈴鹿8耐を捉えるHRC
それに対し、負けじと対抗してくるヨシムラとの戦いは
初期の頃へと鈴鹿8耐の姿が戻ってきたかの様でした
プロジェクトXでもヨシムラが取り上げられるなどして
序々に鈴鹿8耐に足を運ぶ方が戻ってきました
しかし、この年もHRCが圧勝し宇川は前人未到の8耐4勝目を
挙げて自らの引退を祝いました

宇川1


2006年:優勝
この数年、予選最速を誇っていたのはホンダワークスではなく、
全日本選手権にプライベーターとして参戦していた伊藤でした
伊藤が操る鈴鹿のレーシングチームTSRが開発したCBRは
ワークスが全日本選手権でのルールに則って改造範囲が厳しく
制限されていたJSB1000仕様だったのに対し、
世界耐久選手権のルールに則ってスーパーバイク仕様として
エンジンまで含めて徹底的に開発されていました
そして、モトGPに参戦するブリジストンタイヤの開発を
担当する伊藤が特別に作ったスペシャルタイヤを履いたCBRは
ホンダワークスを見事に破り、ホンダ10連覇を達成しました

ゼッケンの778はスポンサーの地元FM局の周波数が元です
参戦チームがスポンサー由来のゼッケン番号を使い出したのは
第3章で取り上げたTECH21チームが初めてなんですよ

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8耐10連覇を達成した事は確かにホンダの輝かしい歴史です
しかし、圧倒的すぎるホンダの参戦体制は退屈を生み出して
ドラマティックな8耐を観戦したい、というファンからは
敬遠されてしまう皮肉な結果となってしまいました

しかし、国内選手権のルールが改正されて
より市販車に近いバイクで争われる様になった2004年以降は
決して過去の様に磐石の勝利ではありませんでした
そして、ヨシムラを始めとした他チームも打倒ホンダを目指して
狭く厳しい改造範囲の中で知恵を絞ったマシンを作ってきます

そして、それ以上に海外ライダーに頼らないライダーの人選が
行われる様になる事で、鈴鹿8耐は日本一のレースとしての
姿を取り戻していくのです

つづく?

鈴鹿8耐の歴史 第6回の前編

      posted at 2010-07-12 (Mon) 20:00:00
7月最終週に三重県鈴鹿サーキットで行われる
鈴鹿8時間耐久レースに向けて、レース初心者の方に向けて
”班長Tの独断と偏見による”鈴鹿8耐の歴史を振り返る日記

第5章は
HRCの功罪と題して
ホンダがいかにレースを捉えているかを含めてお伝えします
大変申し訳ありませんが、班長Tの独断と盲目的な愛で
第5章は2回に分けてお届けします
なぜなら、この頃のホンダが一番好きだから!異論は許しません!!

まず、HRCという企業について説明しましょう
ホンダレーシングコーポレーション、通称HRC
前身をRSCというホンダユーザーでレースに参加する方への
サポートを行う、いわば裏方として設立された部門でした
RSCと80年代前半にホンダ社内で、独創的なエンジンの開発を
行っていたNRプロジェクトが合併して設立されました

ホンダが二輪レースで勝つ為だけに存在する別会社であり、
レースに参加する事で、ホンダの技術力を高めるという
本田宗一郎の「レースは走る実験室」という言葉を体現する会社です

1980年代の後半、二輪レースの最高峰・世界選手権(WGP)でも
鈴鹿8耐でも不振にあえいでいたHRCに1人の男が加入します
男の名は吉村平次郎、のちに鬼平と呼ばれるようになる方です
鬼平は、不振を極めるホンダの当時のエース、ワイン・ガードナーとの
対話ののち、自らレーサーに試乗してみる事でホンダの問題点を見つけます

曰く、「乗りづらい!」
世界選手権や市販車の頂点に立つバイクですから、
世界でごく一部の人間にしか操れないバイクなのは当然です
しかし、鬼平は「GPライダーだって乗りやすければ、もっと速い」と
それまでのホンダの性能至上主義的なバイク作りを全否定します
そして、乗りやすさを徹底的に追求したバイクが作られました
更に、個人のメカニックの技量に頼っていたピット作業においても
徹底的に役割分担と万が一の事態に備えたバックアップ体制をとる事で
何があっても負けないチームを作り出していきました

その頃、観客数の減少に悩んでいたホンダやレース業界の方達は
レースを白熱させて盛り上げる事で、人気の回復を図ります
しかし、レースの為だけに独立した組織であるHRCは、
ホンダが母体とはいえ別会社です
そして、HRCにとって鈴鹿8耐は日本最大のレースであり、
「絶対に負けられない1戦」としてWGP並みに重視していました
こうして、レースに勝ちたいHRCとレースを盛り上げたいホンダの
思惑は微妙にズレが生じていました

負けられない戦いがそこにはある!Byカビラ


今回の前半では、ガードナーの愛機だったRVF750/RC30を
市販車世界選手権のルール改正が1994年に行われたのを期に
市販車として販売出来るレベルの耐久性をレーサーに持たせて市販し、
それを更にレース仕様にまた戻す、という異端な生まれ方をした
ホンダRVF/RC45が投入された90年代を振り返ります

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当時、RC45は国内限定500台で予約販売されて
値段は200万円でしたが、あっという間に完売しました
今でもプレミア付きで取引され、班長Tの憧れのバイクです

1994年:優勝
開始直後の多重クラッシュで一時中断になり、
前半と後半の合計タイムで争うことになった94年
前回取り上げた93年のカワサキ優勝ペアがホンダとカワサキに分れ
白熱したTOP争いを最後まで展開
ホンダに移籍したスライトが0秒288差で勝つ
RC45の8耐デビューウィンというホンダの目標を達成

1995年:優勝
ホンダの8耐エースに成長したスライトは、段々と自信をつけ
初期の穏やかな性格から、攻撃的な性格へと変貌していました
そして、この年の8耐では予選で攻めすぎて転倒し負傷してしまいます

95年のスライトのペアライダーはWGPライダーの岡田忠之
岡田の頑張りで2連覇を達成し、岡田は翌年のWGPにて
250ccから500ccへのステップアップを勝ち取ります

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1996年:3位
この年、スライトは前人未到の4連覇が掛かっていましたが
スライトは決勝で転倒し骨折・リタイアしてしまいます

代わりにTOPを追いかけるゼッケン4のエースは青木拓磨
拓磨は全日本選手権でRC45の開発を行っており、
94年は圧勝で王者になっていましたが、当時ホンダの
WGPライダーのラインナップは、銀河系軍団と呼ばれていた頃の
サッカーチームのレアルマドリッド以上に強力なメンツでした

1度の全日本王者”程度”ではステップアップが出来ない状況で、
翌年以降のWGP参戦を勝ち取る為にも拓磨は負けられませんでした
しかし、ペアライダーの転倒で最終的には3位でした

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ここで土がつけられたHRCは、翌1997年に向けて
拓磨の手で全日本選手権2連覇と波に乗るRC45を更に改良してきます

更に、他メーカーが不況にあえぎ参戦規模を縮小するなか、
ホンダはゲームメーカーのSNK、芸能界からホリプロやTRF
更にオイルメーカーのカストロールやタバコのラッキーストライクなど
参戦規模を縮小するどころか、むしろ拡大していきます

1997年:優勝
この年、WGPから全日本へと降格させられてしまった伊藤真一
WGP250ccでなかなか勝てなかった宇川徹ペアは
HRCに自分達の実力を示す為、優勝を狙っていました
この年の伊藤・宇川ペアのマシンはワークスチームではなく、
芸能人監督を迎えたホリプロチームだった事からも
HRCがこのペアはサポート扱いのサブだった事が分ります

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しかし、RC45の開発を担当する伊藤にとって、雨の中での
ハイペース走行は手馴れたものでした
結果、台風直撃で6時間に短縮された1982年を除く歴史の中で
日本人ペアによる完全優勝が初めて達成されました

1998年:優勝
ホンダ創立50周年という記念の年に開催された98年
HRCはWGP・市販車選手権・全日本の全てのホンダライダーから
最速・最高のマッチングのペアを作るべく事前のテストから
徹底的にペアでのシュミレーションを行いました

前年、雨だから勝てたと陰口を叩かれた伊藤・宇川ペアは
予選から他チームを圧倒するタイムで走ります
結果、伊藤・宇川ペアは8耐史上初めてとなる
同一ペアでの2連覇を達成し、悪評を一掃しました
そしてホンダ軍団は表彰台を独占し記念の年を盛り上げました

・・・盛り上げた?違いますよね?やりすぎたんです

画像 380


1999年:優勝
もはや手がつけられないホンダの勢いはとどまる事なく
この年はRC45の最終年度としてHRCは有終の美を
飾ろうと昨年と同様の体制で参戦しました

ホントは新型機の開発が間に合わなかったので
もう一年RC45を使った”だけ”なんですけど!

この年、予選から気を吐いていたのはメーカーから
ワークスマシンを借りていた桜井ホンダチーム
ワークスライダーでありながら、サテライトと呼ばれる
マシンを借りるだけのチームに配属された加藤大治郎
今後の飛躍を目指す大治郎の友人でもある玉田誠ペアは
3連覇を目指す伊藤・宇川ペアと激しい攻防を繰り広げます
しかし、伊藤が前半で転倒し優勝は絶望的な位置まで後退し、
大治郎も雨の中TOPの岡田組を追いかける最中に転倒してしまいます

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その後はベテランの岡田が安定したペースで優勝
RC45と共に8耐の現場を去る鬼平も総監督として
有終の美を飾りました

ここまで来ると、もはや「ホンダがいつ負けるのか」が
話題に上ることすらなく、鈴鹿8耐の人気は落ちる一方です
誰だって「ホンダが勝つ」事が
最初から判っている鈴鹿8耐なんて
ヒマでも見たい訳がない


しかし、他メーカーの健闘もむなしく
2000年代に入っても、HRCの連勝は続きます
そして、真剣に鈴鹿8耐とワークスチームの関わり方が
検討される時代へと変わっていきます

つづく

鈴鹿8耐の歴史 第5回

      posted at 2010-07-10 (Sat) 20:04:11
7月最終週に三重県鈴鹿サーキットで行われる
鈴鹿8時間耐久レースに向けて、レース初心者の方に向けて
”班長Tの独断と偏見による”鈴鹿8耐の歴史を振り返る日記


第4章は、カワサキの挑戦をとりあげます
カワサキがメインなんですけど、それだけだと3行くらいで
終わってしまうので、90年代の8耐の変化も取り混ぜて
紹介していきますね



1978年の第1回から参加し続けている
カワサキではありましたが、社内のテストライダーを主体とした
チーム編成だったり、8時間を走りきれる訳がないGPマシンで
先頭を走れるだけ走る作戦だったり、と
ホンダやスズキに比べると、あまり勝つ気がないようでした
カワサキ陣営はいたって真剣なんでしょうが
他の陣営の死ぬか勝つかという土俵際の闘いからは
一歩身をひいたスタンスだったと思います

しかも、80年代中盤は社内リストラの一環として
レース部門が廃止され、カワサキのワークス参戦は
一旦途絶えてしまいます

折りしも、8耐に出場出来るバイクの規格が
市販車の世界選手権(スーパーバイク世界選手権)での
規則変更にあわせて、TT-F1というクラスになりました
これは、4スト750cc以下か2スト500cc以下の
公道用市販車をベースにした改造バイクによって競われるクラスで
改造が許される範囲は市販車のクランクケースを使用していれば、
フレーム交換や足回りの設計変更もあり、と
ありとあらゆるアイディアを試す事が出来る代わりに
とてもプライベーターでは到底作り上げられない様な
桁違いの金額をつぎ込んだワークスチームのみが
優勝争いをするような過激なクラスとなってしまいました

ホンダのマシンでどのような改造がされたかを比較してみましょう
1986年に市販されたVFR750Rはこんなカンジです

rc30_a.jpg

これをルールに則ってインスパイアするとこんなカンジに変貌します
VFRの1992年レース仕様車 

2005_7_cole_rvf750.jpg

共通なのは、エンジンの外側のケースの材質くらいで
残りは”全て”改造されまくってます
重量も、ノーマルが200kgオーバーの車体が
カーボンやマグネシウムなどの高価なパーツによって
140kg台まで軽量化されています
1g単位で全てが軽く、そして頑丈に作られている
この頃のワークスマシンは軽く億を超える金額が
つぎ込まれていました

そんな中、カワサキは開発費高騰の末に参加チームが減った
TT-F1クラスの中で競うのではなく、1994年から
次のルールとして採用されるスーパーバイククラスでの
マシン開発を90年代初頭から行っていました

そして、TT-F1クラス最後の年となった1993年は
ガードナーや平といった8耐の名物男たちが引退し、
世界選手権を走るライダーの参戦が減り始めた年でもありました

この年、カワサキは最後のTT-F1クラスのマシン開発を
春から行っておらず、8耐に向けてバイクの耐久性を上げる事を
徹底的に行っていました
そして、速さでは劣るが乗りやすさでは最高クラスと
言われるZXR-7を操るのは、スーパーバイク選手権を戦う
2人の外国人ライダー、スコット・ラッセルアーロン・スライトのコンビでした


1992_2.jpg


ミスターデイトナと呼ばれ、アメリカ選手権では無敵の速さを
誇っていたラッセルと、カワサキの新鋭として頭角を現してきた
スライトのコンビネーションは抜群で、ホンダ陣営やヤマハ陣営が
相次いで転倒やトラブルで後退していく中、淡々と快調に周回を重ねて
5時間半を過ぎた辺りでTOPに立つと、そのまま優勝してしまいます

Aaron_Slight_1993_Suzuka_8H.jpg


最後のTT-F1クラスでの優勝はカワサキの初優勝でした
しかし、ここからカワサキが勝てない時代がまた続きます

翌1994年から始まったスーパーバイククラスは
1・車体の骨格であるフレームの交換禁止
2・エンジンのケースの材質変更禁止
3・ノーマルからの燃料供給方法の変更禁止
4・高価な材質の使用禁止
・・・などなど、開発費や参加費の高騰を防いで
レースに参加できるライダーやメーカーの増加が
狙いになっていたクラス、のハズでした

しかし、後から改造ができないのであれば
最初から改造してあるバイクを市販してしまえ、と
アタマの良い某メーカーさんのバイクを筆頭に
究極に重箱の隅をつついた改造しか出来ないルールは
アイディア勝負のプライベーターには勝ち目がありません

そして、バイクの性能自体の向上が限界に達してしまった後は、
メーカー同士の体力勝負とも言えるレース戦略の進化しかありません
そうなると、TT-F1時代よりもプライベーターが
8耐に参戦する状況は更に悪化の一途を辿り、参加者が減り始めます
そうなると、いつも表彰台は同じ顔ぶれとなってしまい
結果、レースを観戦しようとするファンも減っていってしまいます

80年代後半から続いていたバイクブームも終わってしまいました
過激なレプリカに乗って各地の峠やサーキットに行っていた若者が
レースやレプリカへの情熱が冷めてしまい、去って行きました
ブームの頃に30万だった観客数が、一時期は1/5まで減りました

そして、最大の痛手はバブル景気の崩壊でした
大手スポンサーが続々撤退し、運営が立ち行かなくなったチームが
減り続けた事で、予選落ちがいない開催年もありました


90年代後半の8耐は、こうして少しづつ歯車が狂っていきました


そんな中、カワサキは相変わらず淡々と8耐に参加していました
力を注ぎ込むでもなく、かといって力を抜いている訳でもない
それは、レース部門が他社に比べて小さいカワサキに出来る
精一杯の努力だったと思います

zx7rr2.jpg

しかし、2000年の鈴鹿8耐はいつもと違いました
カワサキファン以外にも記憶に残っている方が多い、
一大バトルが繰り広げられました

その年のカワサキのライダーは井筒仁康柳川明のコンビ
井筒は、プライベーターから無給でカワサキのテストライダーを志願し、
そこから這い上がってカワサキのエースの座を手に入れた努力家です

柳川は、九州選手権チャンピオンからワークスチームを渡り歩いた後、
カワサキの開発兼エースライダーとして1999年の8耐では
カワサキ久々の表彰台となる3位の立役者となった苦労人です

そんな2人がお互いに今後の飛躍を賭けた2000年
ホンダがその年に投入した新型の2気筒1000ccのVTRに比べて
カワサキの4気筒750ccのZX-7RRは直線が遅いかわりに
コーナーリングで差をつめる展開が、レース開始直後からずっと続きました

その年のホンダチームのエースに対して、柳川が離されても
井筒がホンダのペアライダーと互角以上の勝負を繰り広げ、
夕方になっても勝負の行方はまだまだ判りませんでした

2位でも十分嬉しいカワサキ陣営のスタッフ達に対して
井筒は自分の3度目の走行開始前にキッパリと宣言します

「2位はいらん!2位はイヤや!!」

あくまで最後までチャレンジャーとしてホンダに挑もうとする井筒は
夕方のエンジンに優しい時間こそ最大のチャンスとして
他のチームに比べてゴムが柔らかいタイヤを選びます
ゴムが柔らかいと、路面にしっかり食いつく為に速度は上がりますが
反面、少しでも冷えてしまうとスリップして転倒するリスクもあります

それでも、井筒は姿の見えないホンダを追いかけて
懸命にZX-7RRを駆り立てました

久々のカワサキの優勝の為に
そして世界選手権へと挑戦の扉を自ら開ける為に

izutu.jpg


チャレンジは残念ながら失敗に終わりました
しかし、あの年の鈴鹿8耐は明らかに井筒が主役でした
性能の劣るバイクを凌駕する才能が、絶対王者に挑戦する姿は
初期の8耐を彷彿とさせる熱さがありました

その後、残念ながらカワサキは世界選手権へ参戦を開始したので
開発力を集中するために、市販車クラスへのワークス参戦を
とりやめてしまい、また8耐から去って行きました

しかし、カワサキがサポートする有力なプライベーターが
ワークスの代わりに今年も8耐に参加します
その一つがエヴァンゲリオンレーシングチームです

・・・なぜレースクイーンが
稲垣早希ちゃんじゃないんだ!!

By 班長T


少しずつ、歯車が狂いだした鈴鹿8耐
その中で少しでもレースを盛り上げようと努力する人々がいました
しかし、彼らの努力が皮肉にも更に8耐をつまらなくしてしまうのです

つづく?

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